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札幌家庭裁判所 昭和40年(家)486号 審判 1965年5月12日

申立人 小林こと谷内正男(仮名) 外一名

主文

(1)  本籍呉市大字○○村八一二番地の三筆頭者小林七郎の除籍簿中四男正男の身分事項のうち婚姻に関する記載に「妻の氏を称する旨届出」とあるのを「夫の氏を称する旨届出」と訂正すること

(2)  本籍函館市○○町一九番地の一筆頭者谷内二郎除籍簿中四女ミチコの身分事項のうち婚姻に関する記載に「妻の氏を称する旨届出」とあるのを「夫の氏を称する旨届出」と訂正すること

(3)  本籍呉市大字○○村八一二番地の三筆頭者谷内ミチコおよびその夫正男の除籍簿を消除したうえ、同所に小林正男の氏を称する婚姻の届出による夫小林正男およびその妻ミチコの本戸籍を編製してこれを除籍(転籍による)すること

(4)  本籍札幌市○○○○一二丁目三二五番地筆頭者谷内ミチコの戸籍全部を消除し、同所に夫小林正男を筆頭者とする戸籍を編製(右記(3)後段の戸籍から転籍による)すること

を許可する。

理由

一、申立人両名は主文同旨の審判を求め、その理由として次のように述べた。

「申立人両名は昭和二四年六月一一日夫である小林正男の氏を夫婦が称する氏と合意して婚姻したが、婚姻届作成に際しては錯誤により妻の氏を夫婦の称する氏と合意した旨の記載をしてしまつた。その結果、申立人両名の合意したものと異なり、主文(1)の筆頭者小林七郎の除籍簿(昭和三六年一一月三〇日消除)中四男正男の身分事項のうち婚姻に関する記載に「妻の氏を称する旨届出」として記載され、主文(2)の筆頭者谷内二郎除籍簿(昭和三三年九月一七日消除)中四女ミチコの身分事項のうち婚姻に関する記載に「妻の氏を称する旨届出」と記載され主文(3)の筆頭者谷内ミチコおよびその夫正男の新戸籍が編製された。そして申立人らの転籍届により昭和三七年一一月六日呉市大字○○村八一二番地の三筆頭者谷内ミチコの戸籍全部は消除され、札幌市○○○○一二丁目三二五番地筆頭者谷内ミチコの戸籍が編製された。かように申立人らの婚姻届書の記載の間違いによつて間違つた戸籍の記載と編製とがなされたことを申立人らが知つたのは申立人ミチコの父が昭和三五年死亡し相続問題に関して戸籍謄本を取る必要を生じて呉市の役場に問い合せたことからである。以上の次第であるから戸籍の訂正をするため本申立に及んだ。」

二、おもうに、婚姻する夫婦の称する氏に関する合意について婚姻届書の記載に錯誤があつて、戸籍に真実の合意と異なる記載がなされたとしても、その合意自体を無効とする理はないのであるから、戸籍法一一四条の戸籍訂正事由があるということはできない。また、夫婦が称する氏の合意は婚姻に関しての重要な事項であるとはいえ、それが夫婦いずれの氏であるかは、単純な事実そのものであつて法律関係ではないのであるから、同法一一六条の確定判決に親しむ事柄として構成することもできない。この場合は正に同法一一三条にいわゆる「戸籍の記載に錯誤がある場合」として、戸籍訂正の申立をなす適格を有する者は、同条の手続によつて戸籍の訂正をなすことが許されると解するのが相当である。

三、ところで、夫婦の称する氏の記載に錯誤があるとして戸籍の訂正がなされるときは、当然にその夫婦について不可分的に氏の変更が生ずる。したがつて、この場合の戸籍の訂正は実質的には氏の変更以外のなにものでもありえない。それゆえ、戸籍の訂正であるとはいえ、それが夫婦の称する氏に関するものであるときは、戸籍法一〇七条の趣旨に従い、戸籍の筆頭に記載された夫又は妻およびその配偶者が、申請の適格を有する者であつて、かつ、夫婦のいずれか一方が死亡した場合その他特別の場合を除くほかは、夫婦が必要的に共同して申請しなければならないものと解するべきである。夫婦以外の第三者は、その夫婦が称する氏についていかに利害と関心を有するとしても、その氏に関する戸籍の記載を異としない夫婦を差し置いて、これを左右させることを法律上至当とする理由は存しない。また、夫婦の合意による共通の氏を、そのいずれか一方が単独で訂正できるとすることは、事理からいつても容認しがたく、結果的にみても、不都合としなければならないからである。

本件においてはまず夫である申立人正男が単独で夫婦の称する氏の変更について戸籍訂正の許可申立を行なつたが、その申立事件の係属中である昭和四〇年四月五日に妻である申立人ミチコも夫と同趣旨の申立をするに至つた。それゆえ異時的になされた申立人両名の本件申立ではあるが、そのときにおいて夫婦が共同して夫婦の称する氏について戸籍訂正許可申立をしたものと解して差し支えがないから、申立人両名の申立は右述の適法要件をそなえたものと認めるべきである。

そこで事案について判断をすすめる。

四、本件記録ならびに申立人正男、同ミチコ両名の陳述によれば、次の事実が認められる。

(1)  申立人両名の陳述するとおり、戸籍の除籍簿の記載、戸籍の消除、新戸籍の編製とその消除ならびに転籍届がなされている。

(2)  元の本籍広島県呉市大字○○村八一二番地の三筆頭者小林七郎の四男である申立人正男と元の本籍北海道函館市○○町一九番地の一筆頭者谷内二郎の四女である申立人ミチコの両名は昭和二三年四月二九日以来事実上の結婚をして北海道○○郡○○町で同居し、夫である正男の氏「小林」を称していた。

(3)  申立人両名は昭和二四年六月一一日婚姻届をして法律上の夫婦となつた。婚姻届を提出するにあたつては、申立人両名とも当然に夫の氏「小林」を称するものと考えていた。申立人ミチコには姉二人と弟二人が居り、申立人両名が妻の氏を称する結婚をするなんらの事情も必要も存しなかつた。

(4)  ところが申立人両名の婚姻届の記載をした申立人正男は、夫婦の称すべき氏の記載にあたつては届書用紙の夫の氏の欄に○印を附けるべきであつたのに、誤つて妻の氏の欄に○印を附けて、これで夫の氏を称する記載になつていると信じ込み、そのままこれを○○町役場に提出した。そのとき同町戸籍係から「あなたの姓を変えるのですか」と問われ「いや私の姓を名乗るのです」と答えた。申立人正男は戸籍係はなにか届書に訂正を加えたように思つたが、それ以上の問答はなく終つた。

申立人両名は当然小林姓を夫婦の称する氏として婚姻届に記載され、そのとおりに受理されたものと信じ、引き続き小林姓を名乗つて来た。

(5)  申立人両名間には、長女小林玲子昭和二四年六月六日生、同月九日○○町長に出生届出ずみ、二女小林房子昭和二六年一二月六日生、同月一九日札幌市長に出生届出ずみ、長男小林一男昭和二九年一二月一六日生、昭和三〇年一月六日札幌市長に出生届出ずみ、以上の三児がある。出生届出ずみにかかわらず右三児とも戸籍に登載されていない。各その当時申立人両名の婚姻届の本籍地への送附がおくれ、夫婦としての戸籍の記載編製がなされていなかつたのである。

(6)  申立人ら夫婦の称する氏について錯誤の記載のある婚姻届はそのまま受理され、申立人ミチコの元本籍の身分事項欄には「夫小林正男と婚姻妻の氏を称する旨届出昭和二四年六月一一日、○○郡○○町長受附同年九月六日送附広島県呉市大字○○村八一二番地の三に新戸籍編製につき除籍」との記載がなされた。申立人正男の元本籍の身分事項欄には「昭和二四年六月一一日谷内ミチコと婚姻妻の氏を称する旨届出、昭和二四年六月一一日北海道○○郡○○町長受附昭和三五年七月二〇日届書謄本送附呉市大字○○村八一二番地の三に新戸籍編製につき除籍」との記載がなされた。そして呉市大字○○村八一二番地の三に筆頭者妻申立人ミチコ同籍夫申立人正男両名の新戸籍が、昭和三五年七月二〇日編製された。

(7)  申立人両名はそのような戸籍の記載と除籍と新戸籍編製がなされたことならびに届出にもかかわらず三児の戸籍の登載がなされていないことを知つたのは昭和三五年に申立人ミチコの父谷内二郎の死亡による相続問題を生じてから後のことであつた。

(8)  申立人らはその後札幌市に転居したが住民登録も小林正男、小林ミチコとしてなされてあつた。昭和三五年に戸籍上谷内姓であることを知らされ、それ以後谷内姓で住民登録をすることを要求されやむなくそのように訂正した。

(9)  申立人両名はその本籍を前記呉市○○村八一二番地の三から札幌市○○○○一二丁目三二五番地に転籍届を昭和三七年一一月六日にしているが、これはその頃錯誤によつてなされた夫婦の氏谷内をなんらかの方法によつて小林に変更しようと考えるに至り、その便宜のために居住地である札幌市に転籍したもので、右転籍届は夫婦の氏についての錯誤の届出を追認する意思に出たものでは全然ないのである。

五、以上の認定事実によれば、申立人両名の夫婦の称する氏に関する戸籍の記載には夫の氏小林とすべきを妻の氏谷内とした錯誤があることが明白であると認められる。

そうすると本件申立はすべて相当であるから主文のとおり審判する。

(家事審判官 平峯隆)

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